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東京地方裁判所 昭和58年(ヨ)2314号 決定

申請人

吉平喜美子

右代理人弁護士

岡田啓資

(他五名)

被申請人

社会福祉法人上智社会事業団

右代表者理事長

アロイジオ・ミヘル

右代理人弁護士

佐藤義行

(他一名)

主文

一  申請人が被申請人に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  被申請人は申請人に対し昭和五八年九月二五日から本案第一審判決言渡に至るまで毎月二五日限り月額金一三万四八〇四円の割合による金員を仮に支払え。

三  申請人のその余の申請を却下する

四  申請費用は被申請人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  主文第一、四項同旨。

2  被申請人は申請人に対し金一三万四八〇四円及び昭和五八年九月二五日から毎月二五日限り金一三万四八〇四円を仮に支払え。

二  申請の趣旨に対する答弁

1  本件申請を棄却する。

2  申請費用は申請人の負担とする。

第二当事者の主張

一  申請の理由

1  被申請人は、キリスト教精神に基づく社会福祉法人であり、保育園、病院、子供会、青年会等の事業を営んでいるものである。

2  申請人は、昭和五五年五月一日被申請人の本部事務員として雇用され、右本部活動に対応する各種の職務に従事してきた。

3  しかるに被申請人は、昭和五八年八月二〇日限り申請人を解雇したとして、同日以降申請人の労働契約上の権利を認めない。

4  申請人の賃金は一カ月金一三万四八〇四円であり、被申請人は申請人に対し、前月二一日より当月二〇日までの右賃金を当月二五日に支給することとされていた。

5  申請人は、昭和一六年五月三日生れの独身で、被申請人の職員寮に居住し、実母(明治四四年一一月一五日生れ)の面倒をみつつ被申請人から支給される賃金のみで生計を維持してきた。従って、早急に本件仮処分申請が認容されなければ申請人の生活は根底から破壊され、回復し難い損害を被るおそれがある。

よって、申請の趣旨記載の裁判を決める。

二  申請の理由に対する認否及び主張

1  申請の理由1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、申請人がその主張の日に被申請人に解雇されたことは認め、その余は否認する。

申請人は、本来、被申請人の保育棟三階に聖堂を置く町屋カトリック教会(信者約二五〇名、以下「町屋教会」という)のカテキスタ(教会伝導婦)として雇用されるべきはずのところ、同教会が申請人に賃金を支給することが財政的に困難であったことから、被申請人が同教会の財政的基盤が確立するまで暫定的に申請人を同教会のカテキスタとして雇用してきたものである。

3  同3、4の事実は認める。

4  同5は争う。

三  抗弁

1  被申請人は申請人に対し、昭和五八年八月一九日、解雇予告手当として三〇日分の平均賃金を提供した上、口頭で申請人を同月二〇日限りで解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という)。

2  右解雇の意思表示に際し、被申請人は申請人に対し、昭和五八年八月分の賃金を提供した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実のうち、被申請人が解雇予告手当を提供したことは否認し、その余は認める。

2  同2の事実は否認する。

五  再抗弁

1  本件解雇は、正当な理由もないのに強行されたもので、解雇権の濫用に当たり、無効である。

2  被申請人の理事長アロイジオ・ミヘルは、昭和五八年六月二八日及び同年七月三〇日、申請人の雇用を継続する旨の意思表示を明確に表明した。にも拘らず、被申請人はそれ以前の申請人の勤務態度を理由に本件解雇に及んだものであるから、右解雇は信義則に違反し、無効である。

六  再抗弁に対する認否及び主張

1  再抗弁1、2の事実は否認する。

2  本件解雇理由

申請人には以下のような事由があったことから、被申請人はこれらの事由を総合し申請人は就業に適さないと判断して、本件解雇に及んだものである。

(一) 無断外出、無断欠勤等(いずれも昭和五八年)

(1)五・一七 無断外出(午後四時~同五時)

(2)五・二四 無断外出(午後四時~同五時)

(3)五・三一 無断外出(午後一時~同五時)

(4)六・二一 無断外出(午後三時三〇分~同五時)

(5)六・二九 遅刻(午前一〇時三〇分出勤)

(6)七・一 無断欠勤

(7)七・二 無断欠勤

(8)七・一二 無断外出(午後一時五〇分~同三時二〇分)

(9)七・一四 無断外出(午後一時~同五時)

(10)七・一五 無断外出(午後一時~同五時)

(11)七・一六 無断外出(午後一時~同五時)

(12)七・二四 無断欠勤

(二) 届出手続の不履行

(1)申請人は、昭和五八年六月二八日風邪のため欠勤し、同年七月一日及び二日は前記のように無断欠勤したが、これらの欠勤につき町屋教会の主任司祭貝瀬健一神父(以下「貝瀬神父」という)から欠勤届を提出するよう命じられたにも拘らず、これを無視して提出しなかった。

(2)たまりかねた貝瀬神父は出勤簿を作成し、昭和五八年七月六日、申請人に対し、翌七日から出勤のつど右出勤簿に押印又はサインをするよう命じたが、申請人は一度もこれに従わなかった。

(三) 業務命令違反

(1)昭和五八年六月二九日、貝瀬神父は同年七月三日(日曜日)に町屋教会が信者に配布する予定の「聖書と典礼」の裏面に印刷する信者へのお知らせの原稿を申請人に渡してそれを印刷するよう命じたが、申請人はこれに従わなかった。そして、同月三日貝瀬神父がこれを注意したところ、申請人は、「いつもと同じようなものではないか、印刷するまでもない」と返答した。

(2)申請人は、同年七月一七日(日曜日)に町屋教会が信者に配布する予定の「聖書と典礼」の裏面に印刷する文書に、ほしいままに「主任司祭貝瀬健一」という文字を加えて印刷した。

そこで貝瀬神父がこれを注意し、ほしいままに印刷された右「主任司祭貝瀬健一」という文字の下に朱線を引いたところ、申請人は、「こんな権威的な司祭は町屋教会にはいらない」と発言したうえ、右の如く貝瀬神父が朱線を引いた「聖書と典礼」を聖堂の前に貼付してこれをさらした。

(四) 祭服・聖具類の廃棄

申請人は、町屋教会の主任司祭でもあるアロイジオ・ミヘル神父(以下「ミヘル神父」という)から聖堂内の香部屋(祭服・聖具類を保管する部屋)に保管されている価値の少ない古い祭服を処分するよう命じられたところ、昭和五五年六月から同年八月にかけて同神父に無断で高価な祭服のみならず聖具類まで廃棄しようとした。

(五) 教会資金の横領

申請人は、信者の真田孔人に対し、昭和五七年一二月二一日、金六万円を指導料としてガソリン代名目で支出した。しかし、町屋教会では、教会資金は教会委員会の承認がなければ支出できないとされているところ、右金員についてはかかる承認はなく、また本来信者が教会のために働くのは無償であって対価を与えるべきものではないとされているから、右金員は真田と申請人が共謀のうえ不法に領得したか、申請人が真田に不法に領得させたものといわなければならない。

(六) 不誠実な事務処理

申請人は、信者宛に町屋教会に届けられた郵便物を当該信者に交付すべき職責があるにも拘らず、相当数の郵便物をそのまま放置した。

理由

一  本件疎明及び審尋の結果によれば、以下の事実が一応認められ、右認定に反する疎明は採用できない。

1(一)  被申請人は、カトリック精神に基づき、「援護育成又は更生の措置を要する者等に対し、その独立心をそこなうことなく平常な社会人として生活ができるように援助することを目的として」、(イ)保育所・病院の設置経営、(ロ)生活相談、(ハ)子供会・青年会の開催、(ニ)学生の社会福祉事業に対する実践研究についての指導、の各事業を行う社会福祉法人である。

(二)  被申請人は、昭和六年一〇月上智大学教授フーゴ・ラッサルが同大学学生らの協力の下にカトリック精神に基づく貧困者の教育と救済とを目的として東京都下三河島に開設した上智カトリックセツルメントに由来し、これが発展したもので、かかる過程でセツラー等を中心にカトリック信者が集い祈りを捧げるうち自然発生的に町屋教会が成立し、現在同教会は被申請人の保育棟三階に聖堂、事務室、会議室等を置き、信者約二五〇名を擁してその活動を行っている。

(三)  右教会の管理運営は主任司祭がこれに当たるものとされ、かねてより同教会の主任司祭は被申請人の理事長でもあるミヘル神父がその任に当たってきたが、高齢(一九〇四年六月二三日生)となったため、昭和五八年四月一九日さらに貝瀬神父が主任司祭として着任し、今日に至っている。

なお、町屋教会では主任司祭の諮問機関として、信者の中から主任司祭が任命する教会委員をもって構成される教会委員会が存在し、申請人もその教会委員の一員であった。

2  申請人は、カトリック信者で、修道女を経たのち、大分県別府市内のミッションスクールで教鞭をとっていたが、昭和五五年四月中旬、被申請人との間で左記内容の期間の定めのない労働契約を締結し、二週間の試用期間を経たのち、同年五月一日正式に採用された。

(一)  職務内容

町屋教会におりる次の職務を行う。

(1)手紙・書類の整理、返事の代筆

(2)カテキスタ(教会伝導婦)としての要理の教育の手伝い

(3)信者名簿の作成、信者台帳の整理

(4)宗教行事、儀式の日取り等の周知、掲示

(5)月刊パンフレットの発行

(6)事務用品・日用品・消耗品の購入

(7)司祭聖務の手伝い(ミサの準備、病人訪問)

(8)聖堂及び司祭の身の回りの清掃、洗濯

(9)各会合の記録とファイルの保管

(二)  勤務時間

午前八時から午後五時(但し、昼食時の休憩一時間を除く)

(三)  賃金

毎月、前月二一日から当月二〇日までの賃金を当月二五日に支給する。

3  被申請人は申請人に対し、昭和五八年八月一九日、貝瀬神父を通じて、解雇予告手当一三万四八〇四円を提供したうえ同月二〇日限りで解雇する旨の口頭の意思表示をなし、同月二一日以降申請人の労働契約上の地位を否定してその就労を拒絶し、賃金を支給しない。

以上のとおり一応認められる。

二  そこで、本件解雇理由の当否について検討する。

1  解雇理由(一)(無断外出、無断欠勤等)について

(一)  本件疎明によれば、以下の事実が一応認められ、これに反する疎明は採用できない。

申請人は、昭和五八年五月ころ、貝瀬神父から勤務時間中に外出するときはその用件、外出先、帰りの予定時刻を届け出、同神父の許可を受けてからにするようにとの指示を受けていたが、これに従わず、以下のように同神父に無断で、あるいはその禁止の指示を無視して勤務時間中に外出(職場離脱)した(以下、それぞれ「無断外出」「不許可外出」という。いずれも昭和五八年)。

(1)五月一七日

午後四時ころから無断外出し、戻って来なかった(行先不明)。

(2)五月二四日

午後四時ころ不許可外出し、戻って来なかった(行先不明)。

外出の際、「自動車教習所に行く」と言うので、貝瀬神父が「自動車の教習は勤務時間外に行くよう指示してあるではないか」と注意したが、黙って外出したもの。

(3)五月三一日

午後一時から同五時ころまで無断外出(自動車教習所)。

帰って来たあと貝瀬神父が注意すると、「自動車教習所へ行って来た、今回限りです」と答えた。

(4)六月二一日

午後三時三〇分ころ不許可外出し、戻って来なかった(自動車教習所)。

外出の際、「自動車教習所に行く」と言うので、貝瀬神父が「前回のとき今回限りと約束したではないか、今日は外出を許可しない」と言ったが、黙って外出したもの。

(5)七月一二日

午後一時五〇分ころから同三時三〇分ころまで無断外出(行先不明)。

帰って来たあと貝瀬神父が外出先や外出の用件を尋ねたが、答えなかった。

(6)七月一四日

午後無断外出し、戻って来なかった(信者の岸まさ子方を訪問、そのあと自動車教習所)。

(7)七月一五日、一六日

右同(無原罪聖母会修道院で静養)

右のほか、申請人は、次のとおり遅刻、無断欠勤をした。

(8)六月二九日

遅刻(午前一〇時三〇分出勤)

(9)七月一日、二日

無断欠勤

ところで、町屋教会の事務職員は申請人一名だけであり(他一名はコック)、申請人不在の折はミヘル、貝瀬両神父を除いて、申請人に代わって事務を執るべき者はいなかった。このため、一部信者からは、町屋教会に電話をしても通じないとの苦情が寄せられることがあった。

以上のとおり一応認められる。なお、七月二四日の無断欠勤については、欠勤自体これを認めるに足りる疎明がない。

右事実によれば、申請人の本件無断外出等は、その回数、これが教会運営あるいは信者に与えた影響等に照らして看過し得ないものがあるといわざるを得ない。

(二)  しかし、他面、次のような事情のあることが認められる。

(1)本件疎明によれば、申請人は、自動車の運転免許を取得するため、昭和五八年三月五日から足立区内の自動車教習所に通っていたが、勤務時間中に右教習所に行くことについて予めその入所前にミヘル神父から「やむを得ないが、その分必ずあとで教会の仕事をするように」との条件つきでこれを許されていたことが一応認められる。従って、ミヘル神父の許可にかかる右のような取扱いがその後着任した貝瀬神父の一存で変更されるべきいわれはないというべきであるから、行先等を告げなかった点の問題はあるにしても、勤務時間中に自動車教習所に行くこと(五月三一日と六月二一日)自体を非難することはできないといわなければならない。

(2)また、本件疎明によれば、昭和五八年三月ころ、被申請人は理事会において、申請人の雇用主体についてこれを勤務関係と合致させるべく、被申請人から町屋教会へと変更させる旨の決定をしたが、町屋教会に未だ申請人を雇い入れるだけの財政的基盤が確立されていないことから、これに不安を抱く申請人の同意が得られずにいたところ、その後被申請人は申請人に無断で、昭和五八年四月二一日付で申請人の健康保険の被保険者資格喪失の手続をとり、さらに同年五月二五日、貝瀬神父を通じて申請人に対し、「雇用覚書書」なるものを提示し、申請人の雇用主体を被申請人から町屋教会に変更することなどを骨子とする雇用関係変更の申入れを行ったため、申請人の怒りを買い、これが労政事務所に持ち出されたこともあって、同年六月二五日健康保険の被保険者資格喪失の取消手続をとり、さらには同月二八日労政事務所に対して申請人との労使関係は従来どおりとする旨の意思を表明したものの、その後申請人の要求にも拘らず「すぐまた切るから」との理由で申請人の健康保険証を返還しなかったこと、このため申請人は心労が重なり、同年七月二一日睡眠薬を飲み過ぎ医師の手当を受けるという事態にまでなったこと、その際被申請人はようやく申請人に健康保険証を返還したこと、が一応認められ、右認定に反する疎明は採用できない。

右事実によれば、申請人の雇用問題について被申請人及び貝瀬神父のとった措置にはかなり強引な点があったものといわざるを得ず、このため申請人が心労を募らせ勤務時間中に修道院に静養に赴いたこと(七月一五日、一六日)も無理からぬものといわなければならない。従って、それが「無断」であったことについて非難されるのはやむを得ないとしても、外出したこと自体については一概に申請人を非難することはできないといわなければならない。

(三)  そうすると、本件無断ないし不許可外出のうち、実質的に申請人がとがめられるべきものは、五月一七日、二四日の各一時間の無断ないしは不許可外出、七月一二日の一時間三〇分及び同月一四日の四時間の各無断外出ということになる。とすれば、これに無断欠勤二日と遅刻一回とを加えても、申請人に解雇に値するほど著しく無断外出、無断欠勤等が多いとはいえないというべきである。

2  解雇理由(二)(届出手続の不履行)及び同(三)(業務命令違反)について

本件疎明及び審尋の結果によれば、右解雇理由(二)(1)、(2)及び同(三)(1)、(2)前段の各事実(以下併せて「本件事由」という)が一応認められる。同(三)(2)後段の事実については、これを認めるに足りる疎明がない。

右認定の事実によれば、本件事由は広く上司の命令に対する違反ないしは不履行ということができるが、そのいずれもそれ自体としては軽微で、解雇理由に値するほど重大な事由とまでは認め難い。むしろ無視できないのは、右事由を通じて申請人に貝瀬神父に対する反抗的な態度が看取されることであるが、前記1(二)(2)に認定したように、当時申請人の雇用問題をめぐって申請人と貝瀬神父とが対立していたことと、かかる対立に至ったことの原因の多くがむしろ性急に申請人の雇用問題を処理しようとした被申請人の側にあったと認められることなどの事情に照らすと、申請人の貝瀬神父に対する反抗的な態度も無理からぬものとして宥恕すべきであり、また、右のような状況下での言動であることを考えると、これをもって申請人の平素の上司に対する態度ということもできないといわなければならない。

3  解雇理由(四)(祭服・聖具類の廃棄)について

本件疎明によれば、申請人は、昭和五五年六月ころ、ミヘル神父から、町屋教会の香部屋に保管されている祭服を整理し古くなって使えなくなったものは片付けるようにと命じられて同年八月にかけて香部屋の大掃除を行った際、同神父の許可を受けずに自己の一存で未だ十分に使える祭服類約三〇点(祭服、侍者用スルプリ、アルバ、ストラ等)のほか、聖具類約一〇点(純銀製チボリウム、携帯用ミサセット、キリストの十字架像等)をも一括廃棄しようとした(たまたまこれらは居合わせた信者の一人が引き取って保管したため廃棄は免れ、昭和五八年一〇月九日のミヘル神父の司祭叙階五〇周年記念式典に際し右信者から町屋教会に返還された)ことが一応認められ、右認定に反する疎明は採用できない。

右事実によれば、申請人の本件行為は少なくとも教会に勤務する者として軽率であったといわざるを得ない。しかし、前記一2に認定したように、申請人がカトリック信者で、もと修道女であったことに照らすと、それ以上申請人がことさら何らかの悪意をもって本件行為に及んだとは考えにくく、これを認めるに足りる疎明もない。加えて、本件行為は本件解雇より三年も前のことであり、その間申請人が本件以外に祭服・聖具類の管理について問題とされるようなことはなかったこと(右事実は本件疎明により一応認められる)に照らすと、本件行為をもって直ちに申請人の祭服・聖具類の管理がずさんで就業に値しないとまで断ずることはできないといわなければならない。

4  解雇理由(五)(教会資金の横領)について

町屋教会における一般的な教会資金の保管・支出方については、本件疎明によるも必ずしも判然としない。しかし、本件疎明及び審尋の結果によれば、少なくとも昭和五七年度については、教会委員長兼会計担当の深井克素が教会資金を保管し、その支出については同人が申請人らの申出を受けてその要否、額等を判断していたこと、本件六万円も昭和五七年一二月申請人の申出により深井が支出の必要ありと判断し、教会資金からこれを支出し、申請人に手渡したこと、右金員は、同年六月以降東京教区高校生指導者協議会から町屋教会の高校生会に派遣され毎週一回同会の高校生に指導をしていた真田孔人に、同年一二月二一日申請人からその指導料としてガソリン代名目で支払われたこと、が一応認められ、右認定に反する疎明は採用できない。

右事実によれば、本件当時教会資金の保管は深井がこれに当たり、本件金員も同人が占有していたものというべきであるから、申請人が右金員を横領したとの被申請人の主張はその前提を欠き失当といわなければならない。

しかし、被申請人は、広く申請人が本件金員を不法に領得したと主張しているともみられるので、この点についてみるに、なるほど本件疎明によれば、ミヘル、貝瀬両神父及び教会委員会は真田に高校生会の指導を依頼したことはなかったこと、たとえこれを依頼したとしても、かかる指導は信者の教会に対する奉仕として扱われ、教会がこれに指導料を支払うことは原則として行われていないこと、従って当初から本件の支出目的が判明していればこれが支出されなかった可能性が強いこと、が一応認められる。しかし、申請人がことさら深井に対し実際の支出目的である真田への指導料であることを秘して本件金員の支出を受けたというのであれば格別、右事実についてはこれを認めるに足りる疎明はなく、かえって本件疎明中の深井作成と思料される教会資金出納簿の一二月二四日の欄には、「一年間指導費(ガソリン代)」として金六万円を支出した旨記載されているのであって、右記載によれば、深井は右金員が真田の指導料として支払われるものであることを知ってこれを支出したものと認められ、従って申請人は深井から本件金員の支出を受ける際、その支出目的が右のようなものであることを同人に伝えたうえでその支出を受けたものと推認されるのである。

5  解雇理由(六)(不誠実な事務処理)について

右解雇理由については、これを認めるに足りる疎明がない。

6  以上のように、本件解雇は、いずれもその理由がなく、権利の濫用に当たるものというべきであるから、その余の点について判断するまでもなく無効といわなければならない。

三  申請人が、毎月、前月二一日から当月二〇日までの賃金を当月二五日に支給を受けるものとされていたことは前記一2(三)に認定したとおりであり、本件疎明によれば、申請人の賃金は本件解雇当時月額金一三万四八〇四円であったこと、このうち昭和五八年八月分の賃金について被申請人は、申請人がこれを提供しても受領しないため、同月三〇日東京法務局に供託したこと、が一応認められる。

四  従って、申請人は被申請人に対し、本件労働契約上の権利を有する地位にあり、かつ、昭和五八年九月以降毎月金一三万四八〇四円の賃金請求権を有するものというべきである。

五  そこで最後に保全の必要性について検討するに、申請人は独身で、被申請人に雇用されて以来被申請人の職員寮(上智厚生館)に居住し(昭和五七年六月三〇日以降は実母吉平冨得も同居)、被申請人からの前記賃金(但し、公租、社会保険負担料、寮費等を控除した手取り額は約一一万円弱)のみで生計を維持してきたこと、しかるに本件解雇により生計の資は断たれ、職員寮からは昭和五八年九月二〇日限り退去するよう書面で求められていること、が一応認められ、これに反する疎明はない。

右事実によれば、被申請人に対し、月額金一三万四八〇四円の賃金の仮払いを命ずる緊急の必要性があるものと認めるのが相当である。もっとも申請人は、無期限の仮払いを求めているけれども、本案訴訟の第一審判決において被保全権利が認容されれば、通常仮執行の宣言を受けることによってその目的を達し得るから、それ以後の仮払いを求める部分については保全の必要性を欠くものというべきである。

右の賃金仮払いの仮処分のほかに、いわゆる任意の履行を期待する仮処分である仮の地位を定める仮処分を命ずる必要性があるかどうかは一個の問題ではあるが、前認定のように、申請人は本件解雇を理由に被申請人の職員寮からの退去を求められているところ、右退去を余儀なくされた場合、今日の住宅事情に照らして、申請人が直ちに右職員寮(家賃月額五〇〇〇円)に匹敵するような住居を見つけ得るかどうかは甚だ疑問といわなければならないから、本件仮の地位を定める仮処分を認容し申請人が右職員寮に居住し得る利益を確保する緊急の必要性があるものというべきである。

六  よって、本件仮処分申請は、主文第一、二項の限度で理由があるから事案に照らし保証を立てさせないでこれを認容し、その余は失当として却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を各適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 近藤壽邦)

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